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きみに全力投球

どうでもいいことに気合を入れたり、入れなかったりするブログです。

仮説思考の重要性 『自分の頭で考えて動く部下の育て方』

このところ、比較的暇な日が相変わらず続いています。
やることはあっても、半日以上のイベントでもないので、出かけるたびに適当にふらふらしてしまうわけです。
 

 

そういう時、特に買うものがなくても書店に立ち寄ります。そして、結局買うのはamazonなんですけど..
amazon studentだと「もとから設定されてるポイント」+「金額の10%分のポイント」が貯まりますしね。
 
じゃあ書店に立ち寄る意味は?それは「現物を見て決めたい」からです。
同じようなジャンルの本で尚且つ、星評価も同じくらいだと本当にどっちにすべきか悩みますし、ビジネス書だと知っていることがほとんどっていうことも結構ありますからね。そういうのをあらかじめ除外するためです。
 
あと、「今どんな本が巷で流行っているのかな」ってことの調査のためでもあります。
これは、2つ意図があって、
  • 「最低限概要くらい知っておかないと、話にならなくて困る可能性があるな」っていうジャンルやワードを頭に入れておく。
  • amazonで買うとなると、自分が人のブログとかで見た範疇に興味が収まりかねない。
 
一つ目は最近だと「ブロックチェーン」という単語ですね。この場合、その場で見た本を買うもよしなのですが、大概自分の知らない、つまりは興味のなかったジャンルなので、だいたいいつもより詳しくGoogle検索をかけて終わります笑
 
さて、そんなこんなで今回も丸善お茶の水店の「今話題の」的なコーナーを見ていたのですが、そのなかにビビッと来るものがありました。
 
それがこちら

 

 

自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書

自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書

 

 

著者は京大農学部卒で国立研究法人「農業・食品産業技術総合研究機構」の篠原氏。
著者自身はサラリーマンではないが、自身の上司のふるまいやこれまでの失敗を踏まえ、いかなる教育関係においても成立する「どうすれば指示待ち人間量産機にならないですむか」ということについて述べています。
 
本書の表紙にもこの「指示待ち人間」というキーワードが書いてあるのですが、これがまさにビビットきた理由。
大学生故「上司」という肩書にこそならないものの「先輩」位には年を経るだけでなれます。
僕が所属しているサークルでは、「先輩」になると後輩を「弟子」として育て上げなければなりません。晴れて上級生となった僕は、2年生で1人、3年生で1人の弟子をもち、引退した今も3年次にペアとなった弟子に教えているわけですが、「真面目に練習には来るけど、いまいち当事者意識が薄いなあ」と感じる、つまり、「指示待ち人間」を生み出してしまっている自覚がありました。二人で練習しているときに「ここはこういう指使いのほうがいいよ」というと「あぁ、たしかに」とはなるんですが、次回の時に確実に忘れているんですよね。あと、僕が「もう少し練習のギアあげないと発表会に間に合わないぞ」と思っていても、当人はあまり自分の曲の練習に対して執着心がなかったり。
 
で、「当事者意識が低いと何か困るのか」という話ですけど、「師匠に教えてもらうことが当たり前になって、一人で譜面の読めない」とか「自分が師匠になったときに気づきがないから、何を教えればでいいのかわからない」等々、いろいろと問題が出てくるわけです。「おまえ、よくそんなんで二人も教えてきたな。というか、一人目の時に気が付けよ」という声が聞こえてきそうですが、一人目はそういうことに気が付かされる前にやめてしまった(もちろん、人間関係ではないです。今でもたまに飲みます)し、彼を教えたときにはそれまた別の気づきがあったりもしたのです。
 
というわけで、これを機にどうやったら「指示待ち人間」からの脱却を図ることができるのか、ということを知るために本書にあたったというのが事の次第でした。
 

指示待ち人間はなぜ生まれるのか?


「人間は生来、楽をしたがる生き物だ」という話を一度は聞いたことがあると思います。特に何も意識しなければ、楽な方へ楽な方へと流れる。みんなが口をそろえて言う。「働きたくない」と。
 
しかし筆者によれば、実際にはそうではないといいます。赤子が何も指示されなくとも、何もできない状態からハイハイ、二足歩行へと段階を経てできるようになっていくように、「人間は生来『できない』が『できる』になることに快感を覚える生き物」なのです。
 
加えて、「たとえ失敗(=できないという経験)をしても、そこから学ぶ力」を誰しもが持っているといいます。先ほどの赤ん坊の例でも、一発で二足歩行ができるようになるのではなく、ハイハイから少しずつできるようになりますよね。
 
つまり、人間であるならば誰もが何かに取り組む際、できるようになりたいという思いを原動力として、幾度の失敗を経験しながらも挑戦し、むしろそこからの学びによって実際に可能にしようとするのです。これって「指示待ち人間」の真逆ですよね。では、生来備わっているはずの性質を何が阻害した結果、真逆の性質を持つ「指示待ち人間」を生み出してしまうのでしょうか。
 

上司による「意欲」と「機会」の損失


「指示待ち人間量産機」になりやすい上司は、以下の行動に陥りやすいといいます。
 
  • 上司になっても、部下としての働き方から脱却せず、部下と自分の部下時代を比較してしまいがち。→スキルが高いがゆえに、部下は「意欲」をなくしがち。
  • 実際はあいまいな指示にもかかわらず、「そんなこと自分で考えられるだろう!」と部下にしか非を求めない→失敗を恐れ、自分で考える機会を自ら閉ざしてしまう。
  • 自分はスキルや仕事の仕方を習得するために相当苦労したので、親切心から答えを言ってしまいがち。→自分自身で考える達成感を得る「機会」を奪ってしまっている。
  • モチベーションをあげようと、先回りしてヒントを与えがち。→自分で考える余地がなくなり、仕事が詰まらなくなる。 ...etc
 

3つ目、4つ目、僕です...

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こうして、部下の意欲はそがれ、仕事が楽しくなくなる。その結果、自発的に仕事をしなくなり、最低限指示だけこなせばよいという思考に至る。
 
...かなり端折りましたがこんな感じで、本来持っているはずのやるきたちは意気消沈してしまうわけです。
 

上司の戦術


では、上司はどのようにすればよいのか。
 
人間が生来できるようになることを快感とする生き物なのだから、基本的には部下に考えさせればいいのだけれども、仕事故そう簡単にいくものではないです。
そもそも、会社に入ったばかりの段階では、覚えることが多すぎて思考権を全権委譲しところで路頭に迷うのが落ち。
 
そこで、提案されるのが「仮説的思考」で、上司は部下にそれを促すために「訊く」ことが大切になってきます。
加えて、部下のレベルを把握し、長期的な視野を持ち、耐えることが必要です。
 
まず仮説的思考とは、ある事象を観察し「もしかしてこうかもしれない」と仮説を立て、検証、考察のプロセスを踏むことで「未知」を「既知」に変える方法のことです。部下にこの機会を提供することで、自分でできたという達成感を味わえ、結果仕事は楽しくなる。自分で考える癖がつくから、「指示がなくとも」動ける人間になれるというわけです。
そして、上司はそれを促すために、「なにか気づいたことはあります?」だったり「本当に全部完璧にできてそう?」といった問答形式で、着眼点を与えつつも答えは自身で出せるようにします。これが部下のことを(訊ねながら)「訊く」ということです。
 
この方法は確かに部下の「できる」を促すものではありますが、あまりに自分のレベルと課題とのギャップが大きすぎると戦意喪失になりかねません。そこで、部下ができるようになっていることへの理解が上司には必要になります。少し背伸びっていうことです。
 
で、段階的に、しかも部下の思考を待つようなやり方だと、当然時間がかかります。ですから、上司にはそれを待つだけの覚悟が必要なのです。子供の成長過程を見守るように、楽しむくらいがよいのです!長期的な目で見れば、自分で動ける部下になるのですからそれぐらいの対価は払うべきと言えるでしょう。
 

感想:大学生の今、読んどいてよかった


サークルの例もそうですが、僕このまま社会人突入したら確実に「指示待ち人間量産機」になってましたね...
 
いや、「仮説的思考」は常日頃からやっていて、「おお!こうやればうまくいくのか!!」みたいなことを一人で気がついてはしゃいでいたわけですが、その習慣ゆえに知識の幅が妙に広くなってしまっていたわけです。まぁひとりで生きていくには、知識が大いに越したことはないのですがね。
 

その結果、教える際には「これも知っていると便利」「こういう時にはこういうのを(超具体的)」となりがち...これ、まさに「指示待ち人間量産機」のテンプレですよね...ほんと今読んでおいて良かった。

 
さて、著者もあとがきで「元々の対象は子育て」と言っているように、誰かに何かを教える、あるいは誰かを見守る役割など完全な横並びの関係であれば、誰しもに応用できるてkになると思います。就活生でグループディスカッションに困っている人も、小学生の教育に悩む親御さんにもぜひおすすめしたい一冊でした。
 
僕もいい上司に恵まれたい。
 
おしまい